旧R250明石市中心部
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兵庫県神戸市を起点とし,明石市までの17kmを国道2号と重複する.現在は明石市小久保から明姫バイパス(明姫グリーンロード)として分岐し播磨市-加古川市-高砂市-姫路市-御津市-相生市-赤穂市-日生町-備前市に至り,再び国道2号と重複して岡山県岡山市に至る延長146.9kmの国道となっている.
昭和31年7月10日に国道の指定を受ける.
岡山から国道2号の回避として利用したことがある.高砂以西は海岸部/山間部を繰り返し市町界を跨いでいき,高砂以東は明姫グリーンロードの直線的な構造と大きく印象がニ分される.
明姫グリーンロード完成以前の国道部は現在は県道718号(明石高砂線)として降格になっている.こちらの道は旧来の道路構造のため単調かつ低調の印象を持った.
旧国道(県道718号)の明石市市街部はアーケード形式の商店街が軒を連ね名物の明石焼などの看板も多く目に付く光景となっている.また国道28号方面へ折れるとすぐ目の前に明石港があり,ここより明石フェリーを利用し淡路へ渡たる車も多い.
源氏物語:明石の恋の通路蔦の細道
明石浜より明石海峡大橋
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旧道の明石市市街部から南に大観町・岬町・港町へ向う.この界隈は漁港的な雰囲気かと思いきや,ことの他住宅が密集する宅地であった.
明石川方向に向うと,神社・仏閣が密集する区域がある.ここは源氏物語「明石」の舞台として描かれた場所でもあり,関連する文学遺跡が多く残されている.
須磨にて暴風雨の日に館が雷によって焼け落ちた.その夜,亡き桐壷院が夢に現われ,この浦を去るようにといわれる.翌朝,明石入道が,夢にお告げがあったといって源氏を舟で迎えにきた.明石入道の迎えにより須磨から明石へ移った源氏は明石の浜に着いた第一印象として
「浜の様子は,なるほど須磨と大分違っている.人のたくさん見えるのだけが君のお心に染まなかった.」
と違和感を感じている.紫式部がこの段を記述するのにあたり,人からの見聞を頼りにして筆を進めたと考えられているが,少なくとも当事の明石は須磨よりも賑わいを見せていることが京都には伝わっていたようである.
「入道の所有している所々は,海の近くにも山陰にもあって,四季折々につけて,興を催すように設えた滴の苫屋もあれば,勤行して後の世を願うのにふさわしい山水のほとりに,厳しい堂を建てて念仏三昧を行う所もあり,」
と多くの館を持つ中で,源氏に対しては海側の「浜の館」を提供した.山側の家(岡辺の館)には明石入道の家族が住んでいるが,その理由として
「高潮に怖じて,この頃娘などは山に寄った岡のほうの別邸に移らせて住まわせている」
と明石の海の当時の特徴・様子を記している.これは前段の暴風雨などによって海が時化た場合にその被害を受けやすい場所に館があったことを示している.実際の「浜の館」の様子としては,
「浜の館」天台宗善楽寺
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「この土地の天然自然の風景の面白さは言うまでもないが,家や庭に趣向を凝らして,木立や立石,前栽などの有様や,えも言われぬ入江の水の美しさなど,絵に描こうにも心のいたらぬ絵師ではとても描き得まいと思われる.」
と丁寧な庭園が配置された館で,現在「浜の館」とされているのが天台宗善楽寺である.境内には江戸時代の明石城城主の松平忠国によって建てられた明石入道の墓と自詠の碑がある.また,「浜の館」の附近場所からは遠く淡路島も眺めれたことが,
「のどかな夕月夜に,海の上が一点の曇りもなく見渡されるのも,住み馴れた故郷の二条の院の池水の面にふと思い紛えられて,(中略),ふとわれに帰ると,ただ目の前に見やられるのは淡路島であった.「『あはと遙かに』と歌に見えるのはあの島か」などとおっしゃって,お詠み出でになる.
あわと見る淡路の島の残るくまなく澄める夜の月」
とあり,その月見をした場所が善楽寺に隣接する浄土宗無量光寺とされている.この寺は比較的に木立で囲まれていることと周りが宅地造成されていることもあって,今では直接淡路島を眺めることはできない.無量光寺の裏にある道は「蔦の細道」とされ,源氏が明石の上の元に通った道で,角には小さな祠が祭ってある.源氏物語で登場する女性の多くは桐壷,夕顔,葵など悲壮的な結末で描かれるが明石の上は娘が中宮となるなど,登場人物の中ではシンデレラの人生を歩んだ.
蔦の細道
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蔦の細道から海辺まで歩いていった.海岸は護岸工事によって完全に過去の風景は失われている.源氏が京都へ召還される折に明石の浜は
「浪の声も秋風に吹き送られると日頃と響きが異って聞える.海人の塩やく煙がかすかに空にたなびいて,あわれを取り集めたようなこの所の有様である.」
と,この地元の漁師の様子もさりげなく描かれているが,今となっては防波堤の上で釣人が明石海峡大橋を前に竿を垂らし,大型船が通るたびに浮が流される様子であった.
嘆きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな
京に戻った源氏の明石の上に送った句も想像でしか思い描くしかない.
【参考文献】
明石市史(上)明石市,1960
明石市史(下)明石市,1970
源氏物語円地文子訳新潮社,1980
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