国道153号線 伊勢神隧道

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区 間 愛知県東加茂郡足助町
更 新 2001/09/16
調査日 2001年09月前半
コメント

車による旧道の通り抜けは可能。
いまさら書くまでもないところ。
あまりに有名なのだが、想像と違って普通の
トンネルで良かった。
地元の人はごく普通に通る。


ただ、めちゃくちゃ怖かった。

目 次

[ 1 Page ]長野側旧道
[ 2 Page ]
三河側旧道


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あまりにも有名である。有名すぎる。しかも怖すぎる。怖いし、有名なのであまり多くは書かないことにします。

親子2代のトンネルが貫く峠。ここは山越えルートの徒歩道の峠。馬車通行を考慮した明治トンネル。大型車やモータリーゼーションを見越した、昭和トンネル。3代にわたる峠の変遷を見ることが出来る、道路の博物館。このような峠の変遷を見れるところはたくさんあるが、静岡のR1号宇都ノ谷峠がと同様、ここは3代の峠道とも現役なのである。峠の変遷といえば、東京にも青梅の吹上峠があげられる。ただ、そこは尾根越えの徒歩ルートは道が消滅してしまった。明治トンネルと昭和トンネル、平成トンネルがあるが、明治と昭和は道が封鎖されて車で入ることは出来ない。

三河と伊那谷を結ぶ伊勢神峠(標高800m)越えルートは今は東海自然歩道の一部として組み込まれている。この峠は、長野の善光寺参りをする人たちが行き交い賑わったようだ。
明治トンネルは、明治30年に作られ延長308m、標高705mである。昭和トンネルが出来るまでの間、現役だったこの道はさすがは旧国道の貫禄十分な道だ。断然狭いながらもゆったりとした道幅が採られている。なお、明治トンネルは途中で幅員が変わること、坑口の迫石が2重になっていることからも、後になって補強工事が行われたのではないかと推測される。ただでさえ小さいトンネルであるが、余計に小さく狭くなったようだ。

昭和トンネルは昭和35年完成。延長1240m。標高は640mまで下げられた。昭和33年に着工され、日本道路公団によって建設されたようだ。と、いうことはもともとは有料道路事業であったのだろうか?
時期的にも(新)笹子隧道と似ている。

伊勢神という言葉の響きより一層、不気味なものにする。おそらく語源は、この伊勢神峠に設けられている伊勢神宮遙拝所にあるのではないかと思う。峠からは遠く伊勢が望めることから設けられたそうだ。あまり勝手な推測ばかり並べてもしょうがないが、なんかしらの関連があるのではないかと思う。



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伊勢神隧道(新) 長野側坑口

長野側旧道分岐は伊勢神トンネルという標識の所で
右に別れる。新道は直接トンネルで貫いた感じである。

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旧道分岐点より新トンネル

さらに近づいてみる



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新トンネルの高さ制限は3.5m

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伊勢神隧道 銘板



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サビだらけの交通規制看板

分岐後の旧道


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旧隧道の大型車通行規制


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ゆったりと鮮やかに

旧国道の貫禄十分


路肩の苔むしたブロックとガードレールだった石柱がすばらしい。
石柱は橋の欄干のように鉄パイプを通していたようだが、朽ちている。

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今は町道のためか砂袋が安っぽい

この部分のガードレールは残っている


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ガードレールの横に標柱が見える

この直線の突き当たりが旧隧道

どうやら、災害復旧工事に関する物ようだ。木の杭を立てる例はあるが、石柱を使うというなんともゴージャス。 旧隧道の手前には、民家が一軒ある。またT字路となっており道路が右に分岐する。


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起点と終点の2つがある

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昭和40年の災害復旧工事に関する物のようだ

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小田木へと向かう道路か

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民家を過ぎ左カーブの先、旧隧道が見える

坑口手前で振り返る


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トンネルの雨量規制の標識


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伊勢神隧道 長野側坑口

長野側扁額

ひっそりと佇む。昼なお暗く電灯が点る。それがまた不気味なものにする。坑口をよく見てもらいたい。迫石が2重になっているのだ。本来は外側の迫石の幅員があったのではないかと思う。補強のためであろうか、さらに石で巻立てたようだ。 旧隧道によくあるように、ここも両坑口で扁額が異なっている。竣功年月等は帯石に彫られているのが分かる。


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坑口よりトンネル内部

トンネル内部1(入り口付近)

落書きが多く、それだけでも恐い。電灯の設備はあるが配電線が切られていたので付くことはないと思う。トンネルの断面が小さくなっているので電灯器具がかなりせり出している。 トンネル内は石での巻立て。路面は舗装してあるようだが、穴だらけで凸凹。中部電力の配電線とNTT回線はここを通る。

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トンネル内部2(幅員が広がる)

トンネル内部3(コンクリート巻立て)

お世辞にも離合のために広くなっているようには見えない。ちょうど、広がる分が迫石の内側の部分ぐらいの幅なのだ。このことからも補強のためにあらたに石で巻いたのではないかと思う。
このように2,3回広狭を繰り返す。

幅員が広がった後、今度はコンクリート巻立てになった。最近になって修繕したのであろう。

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トンネル内部4(再び幅員が広がる)

トンネル内部5(出口付近でまた小さくなる)

コンクリート修繕箇所を過ぎると、石となりまた幅員が広がる。断面が大きいと行ってもやはりそんなに大きいわけではない。 出口付近で再び断面が小さくなり、三河側坑口へと向かう。

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Copyright (C) 2000-2001 H.Yamashita
2001/09/15 作成