送 電 線 画 像 集

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大正11年竣工の現役鉄塔 群馬幹線309号鉄塔から若番側を望む

高すぎず、バランスのとれた形といい、私の好きな鉄塔。私の中の送電線らしい送電線。似たような形、というよりかはオリジナルは猪苗代旧幹線。こちらも好きだ。だが、経年劣化には勝てず、年を追うごとに立て替えられてしまい、その数をどんどん減らしている。ただ、実際に鉄塔の下に建つとわかるのだが、この送電線はとても低い。なんとなく恐怖感を感じてしまう。田んぼの真ん中だった頃はよいが、宅地化が進んだ昨今では建て替えも止むなしか。
隣の鉄塔を見るとわかるが、中段の相と最下段の相を耐張碍子にすることでわずか懸垂碍子の高さ分ではあるが、地上高を確保しているのである。嫌われ者の送電線だが、一生懸命努力しているのだ。



送電線。いまこうして生活する上で電気のない生活は全く考えられない。水道、ガス、から自動車に至るまで。全て電気が無ければ何も出来ないと言っても過言ではないほど切っても切れないものだ。。

「発電所」で生み出された電気は、「変電所」で高い電圧に変換(昇圧)されて、「送電線」を使って消費地に送られる。消費地にきた電気は再度「変電所」で需要に見合った低圧の適当な電圧に変換されて、われわれの家の前にあるような電柱にやってくる。その電柱の変圧器でわれわれが一般に使う上でもっとも扱いやすい電圧である100Vに降圧されて、われわれの家の電気を灯すのだ。

なぜ、このように変圧器や変電所で電圧を上げ下げするのだろうか。それは、オームの法則というのを見れば、なんとなくわかる。この辺は中学校の理科の教科書でも見ると良いだろう。同じ電力ならば、電圧が高い方が電流が少なくてすむのだ。もちろん、送電線として電気を送っている最中にも各種の抵抗や損失で、すこしづつ電圧は下がってしまう。そのときも高い電圧の方が、損失が少なくてすむ。といっても、むやみやたらに高ければ良いわけでもない。送電線や変電所の新設・維持コストも電圧に比例するごとく上がっていってしまう。
学校で”電気工学”をかじったことがあるが、頭の悪さからのみこむことはできなかった。でも直流と交流、オームの法則ぐらいは頭の中になんとか入った。


そんな私がなぜ、また送電線なのか。電車好きで通る私だが、それに興味を抱いたのは小学校3年ぐらいである。その前に興味があったのは何だったのか? 幼稚園ぐらいのお絵かき帳を見ると一目瞭然だ。そう、それは電気(配電線、送電線)なのだ。今となっては私にも何が好きなのか全くわからないが、電柱の絵をたくさん描いている。そのころに下地が出来ていたようだ。

実際のところ、その今も何がよくて写真を撮っているのか自分でもよくわからないのだが、自己満足に過ぎないし、それがどういうものかわからない。やっかいな話だが事実だ。なんのためにするのかわからないが、どうやらマニアの趣味というのはそういうものらしいようだ。

確かに私の趣味は、電車、道路、ダイヤ、どれもこれもが、”線”に通じる。幼少の頃に趣味の下地が出来てしまったのか?
電車に至っては電気と切っても切れないものだ。このサイトの道路探訪を見ていても随所随所に送電線や配電線が登場しているのはお気づきだろうか?





・・・ もくじ ・・・


東京都
事業者 路線名 更新 コメント 電圧
(推測含)
木柱 コン柱 鉄柱 鉄塔 鋼管 LP碍子
(確認できた分のみ)
東京電力 一の宮線 2004/11/02 京王線に沿う電線路。LP碍子の鉄柱が隠れている 22kV
東京都交通局 多摩川送電線 2004/11/02 東京都交通局の送電線は遙か山奥、奥多摩の地にある 66kV





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