酷道探訪 国道417号線
《旧徳山村をしのびつつ冠山峠を目指す》




この道を下っていけば、徳山村の中心地だったところだ。今はもう、ほとんどの家屋、施設が撤去されてしまっている。ただ、小学校だけが、ここに村があったことを誇示するかのように残っている。



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国道より対岸に見える、大地滑り跡

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直角左折を過ぎると、道は大きなヘアピンをして高度を下げ、徳山の中心地へと向かう


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目前にはヘアピン後大地滑りのあと


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生々しい


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水没区間では唯一と言われる国道標識


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なだらかに谷を下れば、川沿いまでやってくる

この先で仮設橋を渡り、かつては村の中心地でにぎわったであろう場所へ出る。
今はただ静かに時が過ぎるのを待つだけ。


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トラス橋

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いかにも仮設と言った感じの直線で構成された橋

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橋を渡るとドン突きがT字路となる

その手前には大型車の回転場として広い空き地が進行左手に広がる。


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大型車回転場に集まった強者たち


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小熊!!


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林道経由!と謳われた標識


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分岐点より国道417号 池田方面

かつては、栄えた村の中心地
メインストリートであったわけだ。

今では、その賑わいを感じ取ることは難しい。


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分岐点より県道270号線 根尾方面


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県道側から分岐点を見る

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県道側の標識

ここで一言。

『国道側にある標識より県道側の標識の方が立派なように感じるのは私の気のせいでしょうか?』


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県道の炉端にはボロボロになった通学路の標識

電信柱の札には”S36”の標記。

徳山の地に電話が来て幾年月。ついに更新されることもなくその使命を終えようとしている。

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今度は国道側より分岐点

ちなみに、左端の立派な道路情報板は”県道”のものです。



メインストリートであったろう国道を歩いてみる

あっ!! カーブミラーの裏側

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パチンコ 公楽

徳山村商工会の看板。よ〜く見ると…、市内?局番が無いじゃん。
電話が4ケタしか書いてない!


この看板さきあたりから進行右手に小学校の建物が見える

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国道より小学校を望む

手前に一軒家が見えるが、ここはまだ人が住んでいるようである。
ダム完成までの間、暫定的に住んでいらっしゃるのだろうか。

ちなみに他の家は全て移転したようだ。

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電柱(木柱)にあった街灯はすでに役目を終えていた

これも今となっては無用の長物の消火栓。バックに見えるのは小学校跡


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特に何かあるわけでもないがこの建物は壊されていない

中には地質調査サンプルなどが保管されているらしい。


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公衆電話は撤去された


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国道沿いの火の見櫓

そのそばは白山神社跡

ここより徳山城趾へ歩いていけるようだが藪に包まれている。

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目の前にはふるさとの石碑がある トイレもある

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かつての徳山村の航空写真が看板にあった


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白山神社も今はない 昭和八年に建てられた石柱がその存在を示している

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ふるさとの碑

これは水没地区に対する石碑と言うよりも、徳山村を舞台にした映画「ふるさと」に関する石碑のようだ。

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水没地区は全て更地にされる

森も家も、かつてそこにあったものは全て埋め尽くされる。

裸の谷が来るべき水没に備えてただ時を待つ。

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対岸は更地にされてしまった

もうこの橋も壊されるのを待つだけ




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